7.土曜日

 

 学校が休みという事で僕はいつもより遅く起きた。昨日ソリッドフェンサーで演習したため寝る時間が遅くなった事もあり、時計の短針が九を過ぎた頃にベッドから起き出した。

 幸いな事に今日は予定はない。明日GvGの予選があるくらいだ。

 それから不意に猫殺しのこと、そして江本のことを思い出した。この一週間は江本が高密度で僕の生活に浸透していたのだ。別におかしい事ではない。

 リビングで遅い朝食を一人で摂っていると愛海が顔を覗かせた。

「お兄ちゃん、今日は茜さん来ないの?」

 唐突に出てきた江本の名前に驚きつつ僕は愛海を見た。

「……なんであいつが来るんだ?」

「だって二日連続で来たじゃない」

「二日連続で来たら今日も来るのか?」

 僕の不機嫌そうな顔に愛海は好奇心を見せた。

「どうしたの?あ、まさかケンカでもしたとか?」

 一方的に江本を怒らせたのはケンカと呼べるか疑問だったが、世間一般的にケンカというのだろう。そんな事を愛海に教えてやる義理はないのだが、愛海の言葉を否定できなかった。

無言は肯定を意味する事は分かっている。だが何も言えなかった。なぜならそれは紛れもない事実だったから。

「……え、マジで?」

 愛海は僕の反応を見て図星である事を悟ったようだった。

なんとなく居心地が悪くなり僕は着替えてから財布を掴むと考えもなしに家を出た。

何も考えずに歩いていると自然と学校へ向かう道を辿り、そして駅から電車に乗っていた。

家と学校の途中にあるゲーセンで時間でも潰そうかとも思ったのだが、そこは江本と出会った場所でもあり、江本と鉢合わせするのもなんとも気まずいのでそのまま通学のときに利用する駅で僕は降りた。

特にこれといって何も考えはなかった。ただなんの面白みもない道をぶらぶらと歩いていた。もともと何か考えがあって家で出たわけではないので次の行動に迷う結果となった。

僕は目に付いた公園にあったベンチに腰を下ろしてため息をつく。

なぜか気持ちが落ち着かない。

このところずっと江本と一緒にいたことに気付いた。誰かと長時間一緒にいたことなんてなかったのに、気付けば彼女と同じ時間を共有していた。最初は彼女に振り回される形でこうなったけど、今では一緒にいないほうがおかしく感じている自分がいた。実に奇妙だ。

なんてことはない。元に戻っただけなのに、でも何だ?この喪失感は。

僕は思いを振り払い、これからどうするか考えた

そんなことを考えたとき、近所に倉田さんの家があることを思い出した。

そもそも彼はインドア派だ。休日だし彼は家にいるだろう。

僕は倉田さんを訪問する事に決めて立ち上がった。そして前回アイスを買っていくことを約束した事を思い出し、近くのコンビニに立ち寄った。

 僕はビニール袋を片手に倉田さんの家を訪問すると、見知らぬ若い女の人が玄関に立っていた。何度も呼び鈴を押し、反応が全くないことに苛立たしげにしている。

実際のところあの呼び鈴は壊れており、あの玄関自体もあまり使われてはいない。勝手を知っている郵便配達員などは玄関ではなく最初から家の裏手のベランダへ向かうしきたりになっていた。

 このまま放っておいてもいいのだが、玄関前を通らなければ家の裏には行けないので僕は声をかけることにした。

「その呼び鈴壊れてますよ。用があるんだったら家の裏手に回ってください」

 僕の声に振り返った彼女は僕を訝しげに眺めてきた。

目の前の女性の年齢は倉田さんと同じくらい。肩で切りそろえた髪はボーイッシュな感じだが、男っぽいというわけでなく結構の美人である。格好から見て少なくともセールスマンの類では無さそうだが、倉田さんに家を訪ねてくる個人的な友人がいるとは少しだけ意外だった。

「君は?」

なぜか僕に問いかけられる。

「え、萩野です。倉田さんの……友達でしょうか」

倉田さんとの間柄に少しだけ困ってしまう。友人というよりは先輩と後輩といったほうがしっくりくるのだが、生憎同じ高校出身ではないのでそれもどうかと思う。

僕の答えを聞いて目の前の女性はなぜか面白そうに笑み浮かべた。

「そうか、君が萩野翔か」

 なんで僕の下の名前を知っているんだ?彼女は僕を知っているということになるが、僕は何度もその人の顔を見ても全然見覚えがない。

「……誰です?」

「誰だと思う?君は知ってるよ」

 もう一度、目の前の女性を見るが全然思い出せない。失礼だとは思うが首を横に振った。

「……失礼ですが全然分かりません。誰なんです?」

 彼女は再度意地悪げに笑みを浮かべた。ずいぶんと楽しそうだ。

「さぁて、誰でしょう?」

 なおも目の前の女性ははぐらかした。……なんだこの人?

「悪戯はやめろよ、光希」

 いきなりの声に振り向くとそこには倉田さんの姿があった。咎める倉田さんに目の前の女性は悪びれた様子もなく尚一層の笑みを浮かべた。

「あら、マサ君。久しぶりじゃない。感動の再会のハグとか熱いキスとかはないの?」

「何がハグだ。ここは日本だ。日本風に挨拶をしろ」

 倉田さんは憎まれ口を利くが、表情はどことなく緩い。目の前の彼女の訪問を喜んでいるのは確かのようだった。

しかし倉田さんをマサ君呼ばわりする人をはじめて見た。というより倉田さんの友人という存在を初めて見たわけだけれども。……あれ?今この人のことを光希って呼んだか?

 僕の頭の中で一つの推測が成り立ち、幾つもの方向からそれを検証する。それによって僕の導き出した推測は確信へと変わった。

「光希ってまさか841ですか!?」

 思わず僕の声は裏返る。目の前の女性は僕の言葉に笑みを浮かべる。

「おお、アタリ。さすがアスだね。私が見込んだだけのことはあるよ」

「な、なんでこんなところに841がいるんですか!?」

「ちょっと酷くないか、翔。俺の家をつかまえておいて『こんなところ』なんてよ」

 倉田さんの抗議は無視。僕は倉田さんに詰め寄った。

「ちょっと倉田さん、なんで841と知り合いなんですか!?」

「あん?だって俺もグレイマン同盟の一員だし」

 さも当然のことに言う。しかし僕は納得しない。僕もグレイマンの一員だが彼女の顔を知っていたわけじゃない。なぜなら現実での知り合いではないからだ。

「そうじゃなくて、なんで現実世界で知り合いなのかと訊いているんです!?」

「兎に角落ちついてアイスでも食えよ」

 そう言って倉田さんはアイスの入った袋を差し出す。

「僕が買ってきたんですけど」

「あ、私マンゴーね」

「おい、それは俺が……仕方ないイチゴで我慢するか」

「ですからそれは僕が買ってきたんですけど」

「細かい事は気にしない。で?アスはどれ?溶けちゃうよ」

 そう言って光希さんが袋を差し出してくる。

「……それよりも説明してくれませんか?」

 光希さんはマンゴー味のアイスキャンデーの封を切りながら僕を見た。

「私もここの生まれなのよ、実はね。そしてマサくんとは同じ学校の同級生ってわけ。昔はこれでも良い仲だったこともあるんだけどね。高校卒業した時に私が大都会に行くことになって、マサくんは地元で就職する事になって別れたってわけ。そして……」

「そして今に至ると」

 残ったアイスを冷蔵庫に入れて戻ってきた倉田さんが光希さんの言葉を強引に打ち切った。それに対して光希さんが口を尖らせて倉田さんに抗議の意を示す。

「ねえ、随分はしょってない?その間にあった奇跡的で運命的な再会とか再び燃え上がった恋の炎とかは?」

「あー翔、気にするな50パーセントはフィクションだから」

 苦笑気味に倉田さんは僕に忠告する。

「半分はノンフィクションなんですか」

 どこら辺がノンフィクションなのか少し興味あるが訊かない方が無難そうなので、別の質問を光希さんに尋ねる事にした。

「お仕事はなにを?」

「ん?趣味がこうじてゲーム雑誌のライターよ」

 どうやら噂の一部は当たっていたようだ。

「でもよくあれだけで気付いたわね。私が841だって」

「え、あ、まあ偶然ですよ。ED、つまり倉田さんが841と個人的に知り合いだっていうのは前々から想像ついてましたから」

「へえ、なんで?」

 面白そうに光希さんが尋ねてくる。僕は推察を人に話す趣味はないが、彼女は僕の口から説明を聞かない限り諦めないと感じ、観念して説明する事にした。

「だって841からの連絡は全て倉田さんを通して僕は貰いました。この前クレイドゥル・オブ・ムーン≠ノ集まるときも、演習をやるときもです。集まりに出ない僕に連絡を取るためならメールをすればいい。そっちの方が簡単だし確実ですからね。でも倉田さんを通じて僕に連絡を寄越した。つまり個人的にEDと841は繋がっていると考えたほうが自然です。でもまだこの時点では何も確信はありませんでした」

「そこに私の登場か」

 早くも光希さんが持つアイスは半分になっている。

「ええ、そんな最中に登場した女性。しかも倉田さんのみならず僕も知っている存在。倉田さんと僕との共通項は少ないですからね、割と簡単に結び付けれました。そして『光希』という名前です。841を語呂合わせで読むと『やよい』……弥生は陰暦三月の異称です。三月は『みつき』とも読めますからね。だから841=光希という式も成り立つ。……結構強引な推理ですけど、一番それが理に適っていたってわけです」

 現実において推理小説のように全ての情報が提示されるわけではないから、僕の知らない情報もあるだろうが、僕の知りえる情報で構築した推理とはこんなもんだった。

 僕の説明が終わると光希さんは手を叩いた。

「凄いじゃない。若いときのマサ君みたい」

「今でも俺は若いつもりだが?」

 倉田さんは苦笑しつつ光希さんを見る。

「お互い歳には勝てねぇなぁ」

「だから俺もお前もそんな歳じゃないだろ」

 光希さんのボケにさりげなく倉田さんが突っ込む。なんとも仲の良い二人だ。

「そういや今日は江本とかいう子は一緒じゃないのか?」

 倉田さんが思い出したように僕に尋ねた。その言葉に少し反応が遅れてしまう。

「……なんかどこかで聞いたセリフですね」

 同じような台詞を前に晋悟か誰かに言われたような気がする。

「別にいつも一緒なわけがないじゃないですか」

「なんだ愛想尽かされたのか」

 倉田さんは意地悪げな笑みを浮かべた。

「まるで僕が振られたような言い草ですね」

「お前が振るか、あの子が振るかの二者択一ならお前が振られるに決まってるだろ」

「言ってくれますね……。ひとつ言っておきますけど彼女と付き合っていたわけではありません」

「え、なになにアスったら振られたの?ケンカしたとか?」

「……タイミングをずらして話に加わるの止めてください」

「まあ俺の話を聞け」

「遠慮します」

 僕の拒否の言葉を無視して倉田さんは軽く身を乗り出した。

「……いいか、今で言うコンピュータゲームというのは4つに分かれて発展したんだ。ひとつはアーケードゲーム。実はこれが一番早く商業ゲームとして登場した。インベーダーとか見たことあるだろ?あれだよ。そのアーケードゲームを一般家庭で遊ぶために開発されたのがテレビゲームだ。といってもカートリッジ式ではなく、1ハード1ゲームのゲームで今で言うゲーム機が出たのは大分後だけどな。コンピュータゲームが出たのはアーケードゲームやテレビゲームがでた後だった。その多くはユーザーがアーケードゲームを真似たもので、それをユーザー同士で交換しあったんだ。コンピュータゲームは他の媒体のゲームとは異なるRPGやアドベンチャーゲーム、シュミレーションという独自のジャンルに発展していった。今で言う美少女ゲームなんかもこの流れだな。そして携帯ゲーム機は電卓の技術を応用して作られ、昔は1ハード1ゲームが基本だったんだ……」

 今までの話の流れと何の関係もないし、それにこれはただの倉田さんの薀蓄だ。

「話ってそれですか?」

「まさかよ、今のは冗談だ。っていうか早く突っ込めよ。ボケてて疲れるだろうが」

長すぎる冗談だ。倉田さんは座りなおし、真摯な顔になった。

「経験豊かな俺が一つ教えてやろう。……男女間での問題は全て男が悪い。いや、男が悪いって事にするもんだ。そうしないと痛い目にあう」

 確かに一理ある。だが余計なお世話だ。

「マサ君に言えた義理じゃないね」

 さりげない毒のある光希さんの言葉に倉田さんは言葉を詰まらせる。その様子を見て光希さんは面白そうに笑みを浮かべ、それから僕を見た。

「振られたんだ?」

 この期に及んでまだそれを言うか?

「だから最初から付き合ってないですって」

 僕が無意味に必死に否定すると光希さんは意地悪い笑みを浮かべた。

「ま、どっちでもいいけどね。でもさ、君は自分のすべき事は分かっているんでしょ?」

 自分のすべき事。それは一応分かっているつもりだ。だがそれを行動に移す勇気が無い。

 僕の答えを待たずに光希さんは言葉を続ける。

「だったらそれをしなよ。人生の先輩として言うけど、逃げてばかりいたら大事なものを無くしちゃうよ

「それくらいは……分かってます」

 僕の言葉を聞いて光希さんはにやりと笑みを浮かべる。

「あ、やっぱケンカしたんだー」

 久しぶりに年上の人を殴りたいと思った。

 この二人といるとどうも調子が狂う。僕は凄い居心地が悪く感じ、この場から退散することにした。

「じゃあ倉田さん、光希さん。日曜日は宜しくお願いします」

「おう」

「またねー」

「…………」

 本当にこの人たちは僕より年上なのだろうか?

 疑問に思いながらも立ち去ろうとした時だった。

 どこかで見た人が顔を覗かせ、僕はすぐにそれが誰かは分からなかったがその人はすぐに驚いて声をあげた。

「あー萩野翔!」

「……えっと……国枝さん?」

 どこかで見た顔だとは思ったが、何でここに江本の知り合いがここにいるんだ?

「あれ、なに?二人とも知り合い?」

 光希さんが国枝千里と僕を交互に見やる。その仕草を見て国枝さんは光希さんに抗議の声を上げる。

「お姉ちゃん、なんで萩野翔がここに!?」

 ……お姉ちゃん?ってことは光希さんの妹が国枝千里?そんでもって国枝千里の妹分が江本で、江本は僕と同じ学校に通ってて、僕は倉田さんと知り合いで、倉田さんは光希さんと旧知の仲。おお、ループの完成。

 ……っていうか世界狭すぎ。

「世界って狭いもんだぜ?狭い街なら尚更不思議じゃないさ」

 どうやらなんとなく全体を把握した倉田さんが意味ありげに笑みを浮かべる。なんか話が変な方向に転がり始めている気がする。

「えっとバーチャルなお友達、かな?」

 光希さんは軽く首をかしげながら千里さんの問いに答えている。

「バーチャル?ってことはゲーム仲間ってわけ?」

「まあ……そうみたいですね」

 僕は頷いた。まあ僕がそのことを知ったのはついさっきのことだが。

「まああんたは確かにそれっぽいか」

 千里さんは何か一人で納得している。それっぽいってまさかゲーマーっぽいってことか?

「あ、そうだちょっとあんた」

 思い出したように千里さんは僕の腕を掴むと倉田さんたちから離れたところに引っ張っていった。

 何事かと思っていると恐い剣幕で僕を睨みつけてくる。

「ところであんた、あの子と喧嘩した?」

 ……なんでこうも情報が早いんだ?僕の個人情報絶対漏れてないか?

「あれが喧嘩というのかよく分からないですけど」

 そうだ。僕は江本に一方的にキレられた。

「やっぱりね……あんた、謝ってないんでしょ」

「……ええまあ、彼女と会う機会もなかったですし」

「ケータイは?」

「……番号知りませんけど」

 そういえば江本のケータイの番号は知らない。確かに出会って一週間だから知らなくても不思議ではないのかもしれないが、毎日のように会っていてよくこれまで不自由しなかったと思う。そういえば毎回江本から僕に会いに来ていた。よく見つけられたと感心する。

 僕の答えに千里さんはため息混じりに頭を振ると、ポケットからケータイとメモ用紙を取り出してケータイを見ながら軽くペンを走らせ、一番上のメモを切り取り僕に手渡してきた。

「はいこれ」

 一枚の紙切れには十一桁の番号が書かれている。ケータイの番号だ。

「……なんですか、これ?」

「残念なことに私の番号じゃないから。私の番号は高いのよ」

「……需要がないから?」

「そうそう私って高嶺の花に見えるのか誰にも相手にされなくて、っておいコラ!」

 ノリ突っ込みだ。

「茜の携帯の番号に決まってんでしょ。電話してちゃんと茜に謝りなさい」

「……はあ」

 千里さんは自分の用事が済んだことに満足すると、僕を置いて光希さんたちのところへ戻っていった。彼女が何の用事でここに来たのかわからないが僕に出会ったのは偶然なのだろう。

 僕は受け取ったメモを一瞥してからポケットにねじ込み帰ることにした。

 

 家に帰ってからも何をする気にもなれず、暇つぶしにコミックを開いたが面白くもなんとも無い。それでも時間を潰す事に成功し、コミックを閉じた頃には日が傾き始めていた。

 そういえば明日はGvGのトーナメント初戦である。今更コンボの練習してどうなるというわけではないが、やらないよりはマシだろう。

僕は思い立ってパソコンの電源を入れ、机の前に座った。

いつも通りにパソコンは起動されるが起動音にどこか違和感がある。そうだ、CDドライブが動いているのだ。

パソコンの中にCD‐ROMが入っているようだが、一体何を入れたか思い出せない。取り出してみるがラベルは書いておらず、何のデータが入っているか分からなかった。

 僕は試しに開いてみる事にした。

 再びドライブが動く音が聞こえ、やがてファイルが開かれる。僕はその内容を見て呟いた。

「……なんだ、これか」

 江本が持ってきた写真部のデータだった。あの時に見てそれっきりになっていたらしい。

僕は暇つぶしにフォルダを幾つか開いて、眺めてみることにした。

 そういえば江本の写真をあの時は見ることが出来なかったことを思い出し、江本と表示されたフォルダを開くため、カーソルを合わせクリックする。

「あ、間違えた」

 江本のフォルダではなく、違う人のフォルダを開いてしまっていた。

 見覚えのある写真の群にフォルダ名を確認すると堤とある。どおりで見覚えがあるはずだ。

 以前にも見た写真が次々に表示されていくなかで、僕はある違和感を感じていた。その違和感が徐々に形になるにつれ、一つの考えが頭を占めてくる。

 そうこれはあの時と同じデジャ・ビュだ。

「……まさか」

僕は慌てて鞄に向かい、先日江本に貰った写真を取り出した。江本がコンビニでプリントして手渡され、そのまま鞄に入れたままにしていた写真だ。

目当ての写真を幾つか選び出してさっき見ていた写真部のフォルダの写真と照らし合わせてみた。雰囲気が多少は違うが撮影されているのは同じ場所だ。

「なんてこった……」

 僕は机の上に置いてあった携帯電話を掴むと先ほど国枝千里から受け取った番号を押し、少しだけためらうが僕は覚悟を決めて通話ボタンを押す。

 五度目のコールで江本は出た。

『もしもし』

 澄ましたような声が聞こえる。江本だ。電話機越しで幾分声が低く聞こえる。

「……僕だ。萩野だ」

『……何よ?』

とたんに声質が変わる。

「今どこにいる」

『何よいきなり電話してきて。っていうかどこで私の番号を調べたのよ』

 江本の声には先日の怒りよりも、突然かかってきた僕からの電話に対する戸惑いの方が多かった。

「君に話がある。今すぐ会えないか?

 江本の反応に少し時間がかかった。僕の言葉の意味を考えていたのかもしれない。

『……話なら電話でしなさいよ』

「電話では上手く説明できるかわからない。まだ確証はないし、それに幾つか君に会って確認したいことがある」

『……なんだ、猫殺しのこと?』

「それ以外に何があるんだ?」

『いえ、いいわ。君に一般人並の事を期待した私が馬鹿だったわ』

「なんだそれ」

 江本の言葉の意味が解らずに尋ねるが、彼女は僕の問いは軽く無視した。

『えっと今は写真部の活動中よ。被写体を捜しに部長と一緒に神社に来てるのよ』

 江本の言葉に背中に冷たいものが走る。

「部長って堤とかいう……」

『それがどうかした?』

「ま、待て、すぐに行くからそこを動くな」

『何で慌ててるの?どうしたのよ?』

「兎に角、そこはどこだ!?」

『え?学校から北西の山の麓にあるナントカとかいう結構大きい神社。ほら、君と行った図書館の近くにある神社』

 僕もその神社の名前は分からないが場所は見当が付く。自転車を飛ばせば五分くらいでつけるだろう。僕は財布を掴むとケータイを片手に部屋を出た。

「分かったからそこを動くな。今すぐ行く」

 ところが僕の言葉に江本の反応はなかった。通話が切れたわけではない。まだ繋がっているのだが、江本の気配がしなかった。

「おい……?」

 不安になった僕が声をかけると、江本のものではない声が僕の耳に届いた

『やあ、萩野君』

 突然の声に頭の中が真っ白になる。だがすぐに意識を切り替え、その声に答えた。

 声の主の正体の心当たりは一人しかいない。

「……堤か」

『先輩に対して呼び捨てはないんじゃないか?まあ、そんな事は俺は気にはしないけどね』

 僕の心臓が高鳴る。江本のそばに堤がいたのか。僕からの電話と気付いて堤が電話を奪った?では彼女は……?

「……彼女に何をした」

『ちょっと眠ってもらったよ。ああ、ちなみに殺したわけじゃないから安心していい』

「……堤慶介、あなたが猫殺しの犯人ですね」

僕は馬鹿だ。

最初に猫の死体があった現場を巡った時に気付くべきだったんだ。

あの時にはすでに猫殺しの犯人を想像する手札は揃っていたんだ。あの後に得た情報なんて裏づけに過ぎなかったんだ。くそっ。

『そろそろ分かる頃じゃないかと思ったよ。ああ、電話は切らないほうが彼女のためになるよ』

 堤は警察に通報する事を危惧しているのだ。今の状況は江本が人質にあるといっても過言ではなかった。だが僕自身も堤と話す必要を感じていたので電話を切るつもりなどなかった。

 僕はケータイを耳にあてたままで自転車にまたがった。

『なあ、一体どこで気付いた?』

 まるで答案の内容を知りたがるように堤は僕に尋ねてきた。自分の行動の犯罪性など全然気にしていないに違いないその態度に、僕は幾分背中に冷たいものを感じた。

 冗談ではなく堤は江本に手をかけかねない。僕が行かなければ間違いなく堤は彼女を殺すだろう。

「彼女に写真部の写真を見せてもらいましてね、その時あなたが撮った最近の写真を見たんです。その後で猫の死体が見つかった場所に行ったらデジャ・ビュのような感覚になったんです。デジャ・ビュという現象の事をもっと真面目に考えていればもう少し早く気付いたんでしょうけどね。知らないうちに写真で一度見た景色だったんですからデジャ・ビュを経験するのも当たり前ですよね」

 デジャ・ビュとは一度見たことのある似たような光景と重ね合わせて陥る錯覚のようなもので、おぼろげな記憶を根底にしているゆえに居心地の悪い感覚に陥るのだ。

 信号が赤になり、自転車を止めて一息をつく。目の前の交差点を自動車が走り抜けていく。そのひと時の静止の間に思考を加速させ江本を助けるための方法を探る。

 まず江本が捕まっているのは間違いない。この通話中の携帯がなによりの証拠だ。

 では堤は何か武器を持っているのか?堤はあの連続斬り付け魔が自分であると自白した。刃物の類を持っていてもおかしくはないだろう。それでは僕にそれに対抗する手段はあるか?

 残念ながらない。準備をする暇はなかったし、今から準備をしようにも電話の向こうの堤に怪しまれる。

 それにさっき堤が口にした一つの言葉が気になっていた。もしかしたら、堤は……。

『おい、どうした?』

 堤の声に我に返った。ずっと黙り込んでいたので怪しく思ったのかもしれない。

「こちとら文科系なんでね。自転車を必死こいて漕げば息も切れますよ」

 言葉を口にしながら僕は思考を再び活性化させる。

 もし僕の仮説が事実だとしたら、どう対抗すれば良い?

 答えを求めるかのように巡らせた僕の視界に一つの物が見えた。小さな商店の前に立つ大きな立方体。つい最近の苦い記憶とシンクロして一つの策を思いつく。

 決して頭の良い人間が考え付くような良策ではないが、残念ながら僕には考える時間が無い。僕は覚悟を決めてポケットに手を突っ込んだ。

 ……やるっきゃない。いや、やってやろうじゃないか。正面から正々堂々ハッタリかまして不意突いてがっちり食い付いてやる。

 僕は冷静に考えながらも、怪しまれないように堤の注意を引くため推理を口にした。

「あなたが撮影した写真のうち一箇所だけなら偶然と言えるかもしれないですけど、全部の箇所の写真があるのは偶然じゃない。それも猫の死体が見つかる日の前に撮影されているなら尚更です」

 それに僕らが発見した猫を殺した日に堤が早退している事を宍戸から僕は偶然聞いていた。つまり猫が殺害されたであろう時刻には堤は学校を出ているのだ。疑うべき十分な理由と言えるだろう。

『確かにあの写真を学校のパソコンに写したのは迂闊だったな』

 話を伸ばすため僕はもう一つの推測を口にした。

「それと連続斬り付け魔もあなたですよね」

『そこまで気付いてたか』

 意外そうに堤が言う。

「ただの勘ですよ。この近所にあなたのような人間がそう何人もいて欲しくはありませんからね。ただ目撃されている犯人の特徴が二つとも似通ってましたからね、想像に難くはないんですよ。ところで……なんで、猫を殺したんですか?」

 江本がいればまず尋ねそうな問いを僕は尋ねた。まともな答えを期待したわけではなかったが、尋ねずにはいられなかった。

『意味は特にないさ。ただ殺してみたかった』

「それだけですか」

『じゃあどんな理由があれば殺していいんだ?なぜ豚や牛を殺して、猫を殺してはいけないんだ?人間は大した実害もなしに虫を殺しているのに、なぜ害のある人間を殺してはいけないんだ?命は全て大切とほざいていながら、なぜ人の命と虫の命を区別するんだ?その点死はすべての命に平等だ。下等生物から高等生物に至るまで、老いも若きも男も女も金持ちから貧乏人、悪党に善人、あらゆる生物に平等に死があるってわけだ』

 堤は一気にまくし立てた。彼自身そうは思っていないだろうが使い古された言葉を並べ立てる。

『なあ答えろよ。なぜ人を殺しちゃいけないんだ?』

 堤はタブーとも言うべきその言葉を口にした。僕はそれを口にした堤を軽蔑しつつ、ゆっくりと言葉を選んだ。

「悪いですね、僕は馬鹿ですから難しいことは考えない事にしてるんです。ついでに言うと僕は哲学者でも正義漢でもない。はっきりいって僕にはどうでもいいことだ。そんな無駄な事を考えてる暇があるんなら、リーマン予想を証明する方法でも考えたほうがマシな時間を過ごせるんじゃないですか?」

 僕は無駄な事はしない主義だ。僕がそのこたえを知っていても意味は無いし、その理由がなくても僕は人を殺さないだろう。僕は意味の無いことに時間をかけるほどロマンチストではない。

『君にはがっかりだよ。もっと面白い答えが聞けると思ったのに』

僕は自転車を止め、堤の前に立った。僕は電話を通してではなく、そのまま堤に向かって喋った。

「残念でした。あなたの期待に応えられるほど僕は腐っちゃいません」

 僕の姿を認めた堤は面白そうに笑みを浮かべ携帯の通話を切った。

「へえ、逃げずにやってきたか。そんなに彼女が心配か?」

 僕は堤の背後にあるベンチに横たわる江本を見た。眠らされているとはいえ、なんとも呑気な寝顔じゃないか。

「なぜ江本に手をかけたんですか?証拠がないのは一番あなたが知っていることでしょう。僕らが追求してもしらばっくれれば良かったはずだ。なのにあなたは江本を人質にとるような真似をして、結果的に自分が犯人だと肯定するような行動をとった。なぜです?」

「……確かに今回の行動は浅はかだったかな。彼女に知られて嫌われるのが恐くてね、突発的にやってしまったんだよ。ちょっと感情的になりすぎたかな」

堤の右手には黒い携帯電話のようなものが握られている。しかしその黒光りするそれは便利なIT機器なんかではない。青く獰猛な光がそれを物語っている。

「なるほど、スタンガンですか。ずいぶん物騒なものを持ってますね」

「日本じゃ国民性からかあまり使われていないが、アメリカじゃメジャーな護身用具だからね。その手の店に行けば簡単に買えるさ」

納得がいった。なぜ猫がろくな抵抗もせずに殺されていたのか。スタンガンがあったなら話は簡単だ。猫を餌で釣り、食べているところをスタンガンで気絶させてから殺せば苦はない。気絶しなくても四肢にしびれがあってはそう簡単に逃げられないだろう。猫の死体を調べれば電流斑があるかもしれない。それに人間ならまだしも小動物にスタンガンを使えばどうなるか。

「出力を最大にしても人間は最悪気絶するだけだが、小さい動物は死ぬかもな」

人間は電気で動く人形だ。人間の70パーセントは電解質の水でできており、筋肉は電気で収縮し、脳自体も電気が忙しく駆け回る事で働いてるようなものだ。そんな人間に電流を流せばどうなるか想像つくだろう。

スタンガンはマッサージ機器や電気風呂などにも使われている比較的人体に与える危険が少ない高周波電流を用いているが、それでも五秒当てられれば気絶、一、二秒でも激痛が伴う。

スタンガンは首の周り、胴体、腹部や脚のつけねに当てれば相手を即時にダウンさせることができ、脚および腕に当てれば、麻痺やしびれなどの症状を与えることができる。

「どうするつもりです?」

「さあどうしようかな。とりあえず君は邪魔だね。死んでくれるかい?」

 そう言って堤は笑みを浮かべた。本気かどうかは兎も角いかれてやがる。

「喜んでくれよ。君に彼女を助けるチャンスをあげたんだ。言うなれば君が勇者で彼女は囚われの姫君、そして俺が魔王だ」

「残念だけど僕は通りすがりの村人Aだ。そしてあんたは雑魚敵その1。ついでに言うと江本は少なくとも囚われるだけのか弱い姫君じゃない。彼女が姫君なら囚われついでに魔王を倒すさ」

「それじゃあ村人の根性、見せてもらおうか」

バチバチという普段は聞くことのない放電音が威嚇するように鳴り響く。

スタンガンが護身用武器だというのがよく分かった気がした。あの光と音を聞けば誰でも腰が引けるだろう。ゼロ距離でしか効果の無い武器だと分かっているのに、とんでもない威圧感を感じていた。

 逃げる事などできない。そんなコマンド最初から存在しなかった。僕が逃げれば間違いなく堤は江本を殺すなりするだろう。そして江本が気絶している以上彼女を連れて逃げることなんて不可能だった。

 だから、僕がこの状況をどうにかする他ない。

通常のスタンガンは五千ボルトから二百万ボルトまであり、日本国内で市販されているのは五十万ボルトまでのものが多い。

幸いだったのは奴がスタンガンを改造してなかったことだ。

八万ボルト以上のものになると、厚手の服の上からでも効果があり、十五万ボルト以上になると皮製のジャンバーや厚手の毛皮コートの上からでも効果があるとされている。

奴は電圧を高める事によって使用回数が減る事を危惧して改造しなかったのだろうが、致命的なまでに凶悪な武器でないだけまだ気が楽だった。

しかしスタンガンの威力はボルト数よりも使う部位によって発揮される。当然頸部などの比較的頭部部への血管の血液の供給が行われている部位や腹部の動脈の浅いところに当てると気絶することになり、大腿部や腕などに当てると、激しい痛みが起こりしばらくしびれが残ることになる。

よって手足は兎も角、首や腹に電撃を食らったら僕に勝ち目はない。

 堤が向かってきた。速さは早歩き程度。僕がこの場から逃げないと踏んでいるから一気に間合いを狭める必要はないと思っているのだろう。むしろ奴はこの状況を楽しんでいるようでもあった。

 おいおいおいおい、マジでどうすんだよ、僕。

 とにかくスタンガンの有効範囲に入らないように一定の間合いを保つべく、僕は相対的に動く。どうにかしてスタンガンを奪うなり使えなくするなりしなくてはいけない。

 僕は目を鋭くして堤の動きに注意を払う。堤までの距離はざっと二歩だ。堤が踏み込んでスタンガンを突き出してきても、どうにか反応できる距離だが実際のところ避けれるか分からない。

 僕が動けずにいると堤が先に仕掛けてきた。堤が一歩踏み込み、スタンガンを持つ腕を僕に伸ばす。スタンガンの青いスパークが僕に迫り、僕は体を捻ってどうにかそれを避ける。それと同時に僕はこの機会を逃さずにスタンガンを持つ手を掴もうと右手を伸ばすが間に合わなかった。

 堤はスタンガンを持つ手を捻って僕の右手へと向ける。僕はバックステップを踏んで間合いを広げようとするが、スパークが右手をかすめた。

運動の命令を送る神経系がジャックされ、その上フィードバックされてくる情報も上書きされてバグだらけの情報、つまりつんざくような痛みが全身を駆け巡る。

思っていた以上に痛い。

コンセントで軽く感電したことがあるが、桁違いだった。おざなりだが静電気による痛みを何百倍にもしたような痛みとしか形容できない。

馬鹿野郎ってんだ。スタンガンは護身用の武器だぞ。犯人が使うな。

「痛いか?」

 堤が笑みを浮かべる。

「……ああ、痛い」

 僕は堤を睨みつけ虚勢を張るが、目が涙目になりそうだ。しかし涙を流すわけにはいかない。堤の動きから目を放すわけにはいかないからだ。

 僕は唇を噛んで痛みをこらえる。幸いな事にかすっただけで、右腕が麻痺する事はなさそうだった。また痺れるような感覚はあるが、動かないということはない。

 しかし堤は一体どうするつもりなんだ?まさか本当に僕らを殺すつもりなのだろうか?それとも最後の遊びのつもりなのか?

 目の前でスタンガンを構える堤を窺うが、全然分からない。

 いずれにせよ僕は負けるわけにはいかない。無駄な思考を斬り捨てて、堤を拘束することだけを考える。

 まだ手はある。そう、僕にはまだ奥の手が残っている。

 堤が浮き出すスタンガンを体を捻って避けながら、僕はその機会を待った。もう準備は整ったはずだ。だが堤が見せるその隙を狙わなくてはいけない。

 幸いにも僕がばてる前にその機会は巡ってきた。堤がバランスをくずし、僕目掛けて突っ込んでくる。それを僕は横に逃げてかわした。どこかで見たような展開だ。

 すぐさま体勢を立て直して振り向いた堤の目の前で僕はにやりと笑みを浮かべ、プルトップを起こした。

 缶の中で膨張した二酸化炭素は限界まで圧力を高め、僕が開けた逃げ道はその圧力を外へと逃がす唯一の通り道となり、外へと放出された二酸化炭素と共に褐色のシロップ液は外へと舞い上げられる。

 簡単に言えば中の炭酸飲料は噴出した。それも堤目掛けて。

 どういうことになるかは理解していたが、予想以上に僕の思い通りになってくれた。

 堤は咄嗟に目を庇い、そして右手にあったスタンガンは炭酸飲料でその端子を濡らした。

 堤が電話で江本を『眠らせた』といった言葉から、奴がスタンガンを携行していると予測していた。クロロホルムなんて簡単に手に入るとは思えないし、僕からの電話による突発的な行動なのだからクロロホルムなんかを用意しているのはおかしいからだ。

 だから僕は堤がスタンガンを使用する事を予測し、それの対策を考えたのだ。わざわざ負ける試合をする必要はない。試合を回避できないなら勝率を高めれば良い。

 その結果が缶ジュースだった。

 眼晦ましになる上に、スタンガンを使用できない状態にもちこむ。後は野となれ山となれだ。

 堤は僕の起こしたサプライズからまだ立ち直れ切れていなかった。だがその手にあるスタンガンが濡れいてる事に気づき、戸惑いの表情を見せる。

濡れた手で持つスタンガンの意味を悟るほどに奴は賢かった。だがその賢さが脚を引っ張ることになるのだ。僕はほくそ笑む。

使えない武器を持つことほど、戦闘を阻害するものは無い。しかし強力な武器を手放すことほど愚かなことは無い。その板ばさみの中奴の動きが止まった。

その隙を僕は見逃さない。

エネルギーは質量と速度の二乗をかけたものに比例する。物理学万歳。僕の全体重と僕の出しうる最高速度が乗った体当たりは僕の持てる最強の攻撃だ。

テクニックもなにもない。もともと喧嘩の経験がない僕にはこの手が一番確実だった。

隙だらけの堤に僕の体当たりは面白いくらいよく決まった。僕と堤は体勢を崩し、僕と堤は地面を転がった。その勢いで堤の持っていたスタンガンは弾き飛ばされた。ソリッドフェンサーの中では前転受身が出来るのに、現実の僕にはそんな高度な事はできなかった。

全身に痛みがある。自分の攻撃で自分も大ダメージを受けているなんて阿呆だと思うが、気を取り直して腕をついて立ち上がろうと顔を上げた。すると丁度僕と同じような体勢の堤と目が合う。なんだよ大してダメージないじゃないかよ。

 僕と堤の視線はスタンガンへと向かった。それは江本が寝かされているベンチの下へと転がっている。

 武器の奪取のために堤と僕はビーチフラッグさながらにうつぶせ状態から駆け出し、スタンガンを目指す。しかし僕は出遅れ、堤が専攻する形になった。残念な事に僕は短距離走が苦手だ。堤に追いつく前に堤がベンチの下へと手を伸ばした。しかしその堤の動きが止まった。眠らされた江本が横たわるベンチの下へと転がったスタンガンのあるべきところには何もなく、堤が伸ばした手は空しく空を切っていた。

「……もう意識が戻っていたのか」

 堤は悔しそうに呟く。

「お生憎様でした。私は獲物になるだけの可愛い兎ちゃんじゃないんです」

ベンチに横たわったままの状態の江本の手にはスタンガンあり。その切っ先は堤の首筋に当てられて止まっていた。指先はスイッチにあっていつでも五十万ボルトを流せる状態だ。

堤は自分の喉下にある感触に唾を飲んだ。

「君も電撃を食らう事になるぞ」

濡れたスタンガンを握る江本も当然ながら感電の可能性がある。だが江本は余裕のある笑みを浮かべた。

「生憎ながら私は引き分けでもいいんですよ。萩野君がいますからね。気絶している間に部長を拘束してもらって、警察を呼んでもらえば私が気絶している間に事は全て解決ってこと。これは自滅でもなんでもない完璧なチェックメイトなんですよ。さあどうします?おとなしく警察に捕まりますか?それとも一緒に気絶します?」

「……ハッ、最悪だな」

堤は脱力したようにその場に転がった。それに対して江本は最高度の愛想笑いを浮かべて見せた。

「どういたしまして」

 

 堤は江本が携帯で警察を呼ぶとベンチに座って大人しく警察が来るのを待っていた。だから僕らは彼を拘束することもスタンガンを構える事もせずにただ黙って彼の傍らに立っていた。

 警察は意外と早くやって来た。先日の灰色頭の老刑事が現れたときは僕と江本は驚いたが、それ以上に僕らを見て驚いたのは彼のほうだっただろう。

「君たちか?通報したのは?」

 この刑事の存在はイレギュラーだったが、むしろ好都合だった。僕は誰よりも先に口を開き、状況を説明した。

「この前のことがあってから僕らは気になって猫殺しの事を個人的に調べていたんです。そうしたら先輩が犯人じゃないかと思えてきて、それで僕らは直接先輩に尋ねたんです。そうしたら先輩は自首するといったんで、警察を呼んだんです」

 僕の嘘八百に江本は一瞬だけ驚いたような顔をしたが、すぐに口裏を合わせてくれた。

 その事を意外そうに堤は見ていたがわざわざ自分の罪状を増やす必要はないと思ったのか、何も口にせず黙っていた。

「とにかく、署で話を聞こうか」

 老刑事はあらかたの話を聞きこれが悪戯などではなく事実であると悟ると、堤の肩に手を置いてパトカーに乗るように指示した。まだ堤は未成年だし、容疑もまだはっきりしていないので手錠はなしだった。

 警察に連れて行かれる間際に堤は僕を見て微かな笑みを浮かべた。

「すまなかった、それとありがとう」

 それは学校で見て爽やかな写真部部長の顔だった。

僕は彼の言葉に答えることはなく、ただ黙って頭を軽く下げた。

僕と江本の聴取は後日という事になり、僕らはそこで解放となったが僕はすぐに帰る体力が無く、少し休憩のために決戦の場となった公園で佇んでいた。

「この程度で疲れてるの?」

 向こう側から江本が歩み寄ってきて、呆れたように僕を見た。

「生憎ながら僕は現実世界で戦うのは初めてなんでね。それにリヴァイヴァーもない」

 江本は苦笑し、そして僕にスポーツドリンクのペットボトルを投げて渡してきた。どうやら公園の近くにあった自販機で購入してきたようだ。

「ほら、飲みなさい。回復アイテムよ」

「あ、サンキュ」

 僕は未開封のペットボトルを受け取り、それに口をつける。そんなに好きではないので滅多にスポーツドリンクは飲まないが、運動後は格別に美味しく感じる。

「なんで彼を庇う発言をしたの?」

 江本は不意に僕に尋ねた。きっと訊かれるだろうと予測していたので彼女が尋ねてきても答えに迷ったりはしなかった。

「ん?そうだな……なんかあの人は最後にゲームをしたかったんじゃないかなと思ってさ」

「ゲーム?」

「そう、猫殺しや斬り付け魔が自分であると見破った僕らを相手に最後のゲームをさ。そもそも今回の斬り付け魔や猫殺しは話題性の割には目立って凶悪な犯罪じゃない。僕にはスリルを楽しんでいるように見えたんだ。彼は警察に捕まるのは避けられないと思って最後に彼はスリリングなゲーム、自分がラスボス役のゲームに興じたんじゃないかな、って思ったわけ」

「確かにシチエーションとか台詞とかはわざとらしかったわね」

「彼は最初から僕らをどうこうするつもりはなかったと感じたから、別に事を荒立てる必要はないかな、と思ってさ。別に構わなかっただろ?」

 江本を窺うと彼女は脇腹をさすった。

「まあね、ただスタンガンの電撃は痛かったわ」

「僕も食らったよ」

 命に問題はないとはいえ、あれは二度とゴメンだ。まあ二度もあんな目に遭う人間はいないだろうけど。

「……終わったのね」

 江本は感傷気味に呟き、そして自分のペットボトルに口をつけた。

僕はもう一度スポーツドリンクを口に含み、そしてそれを飲み下してから思い出したように口を開いた。

「ああ、そういやまだ君との試合が残ってた」

僕の言葉にペットボトルに口をつけた江本の動きが一瞬止まった。それから動揺を隠すようにゆっくりと僕の方を向いた。必死に彼女は平静を装おうとしているが、一目瞭然だった。

「私と?」

 僕は江本を見つめ意地悪げに笑みを浮かべた。

「君は向こうとあっちの人格を区別する方かい?MAD」

 江本はMADという名を聞いて一瞬だけ身を強張らせたが、諦めたように笑みを浮かべた。

「いつから分かってたの?」

「確信を持ったのはついさっき。君は僕がリヴァイヴァーと言ったのに対してすぐに回復アイテムと理解した。リヴァイヴァーという名称の回復アイテムがあるのはソリッドフェンサーだけだ

「ソリッドフェンサーをやっていなくてもリヴァイヴァーというアイテムの名称ゲーム雑誌か何かで知ったのかもしれないじゃない」

「まあそういう可能性もある。でもね君はこのジュースを手渡しながら言ったんだよ?リヴァイヴァーが飲み物であることはソリッドフェンサーをやった人間しか分からないと思うよ。気を抜いたのか知らないけど、これは致命的なミスだね」

 僕の指摘に江本は頭を抱えた。

「まさかこんな所でミスるなんて。……でもそれは私がソリッドフェンサーをやっている裏づけにしかならないわ」

「まあね、でも後は想像で補える。まず、君とMADには共通する点が多い」

「例えば?」

「負けず嫌い」

 僕の物言いに江本は目を細めて訝しげに僕を見る。

「……誰でも勝負になれば勝ちたいと思うでしょ?」

「今の冗談だから真面目に返さなくてもいいよ」

「君ね……いい加減にしないと怒るわよ?」

 江本の抗議の視線を受け流して僕は話を続ける事にした。

「アシュレイとアースがMADに襲われ、そして僕が襲われた。それ以降MADは誰も襲っていない。このことからMADの狙いは僕で他の二人は巻き添えを食ったということが予想できる。その点を踏まえて考えれば話は簡単だったんだ。MADは『アス』に関係するハンドルネームのPCを襲っていたんだから」

 僕は推測を口にしながらひとつの事を思い出した。

「そういえばアシュレイが襲われたのは、君と倉田さんの家に行った日だった。あの日、倉田さんは僕のことをハンドルネームで呼んだんだ。『アス』ってね。そこで君は僕のPCを探すために、グレイマンに所属していて次のGvGに出るハンドルネームに『アス』が関連のありそうなPCを探したんだ」

 GvGに出るグレイマンのメンバーの名簿ならGvGのトーナメント管理センターに行けば閲覧できる。GvGが近ければギルドスペースに集まることは多くなるだろうし、練習のためにフィールドに出るにしてもダンジョンよりも難易度の低いところで連続技の練習をする可能性が高いから目的のPCを探すのは難しくはないはずだ。

「まずアシュレイに目を付けたが違った。僕が女性のPCを使うわけがないし、ましてや女のフリなんてするわけがないから。次に見つけたのがアースだ。だがアースのプレイヤーは関西弁を使っていた。僕がわざわざ関西弁を使ってキャラを作るわけもないから君はアースが僕じゃないと踏んだ」

「まさか記号のアステリスクだとは思わなかったわ」

 僕の言葉が終わるのをまって江本はため息混じりにそう言った。確かに星印がアステリスクだと気付きあの中から僕を探し出したのは凄いかもしれない。

「そして君は僕を見つけ出し、襲った。そしてED、つまり倉田さんが庇ってきたことからアステリスクが僕であるという確信を抱いた」

「ちょっと違うわね。PvPを断った時点でほとんど確信してたわよ」

 それはちょっと情けないかもしれない。まあ僕の性格だ。仕方がないだろ。

 ある程度は今回の騒動についての説明はついたが、確証がない点も幾つかあった。

「MADは茜の英語名MADDERの略ってわけか?」

「それが分かっていたのになんで?」

「だから言ったろ。それだけじゃ確証がなかったって」

 今思えば江本が眼鏡をかけて来たのはアシュレイたちが襲われた次の日だった。江本は僕を探して夜遅くまでソリッドフェンサーを彷徨っていたのだろう。夜遅くまでパソコンに向かっていればドライアイにもなるだろうし、寝不足にもなるはずだ。

一つ疑問は解消されたがまだ疑問が残っている。詮索するのは嫌いだが今回ばかりは遠慮はしていられない。

「なあ、なんで君は僕に声をかけてきたんだ?だって君はゲーセンに行けなくなったことに因縁をつけてきたけど、実際のところソリッドフェンサーをすることが出来たんだ。ただ僕にゲーセンにいた事を口止めするっていう必要もあったかもしれないけど、ソリッドフェンサーをやっていることを隠してまで僕に近付く必要はなかったんじゃないか?」

 僕の問いに江本は答えづらそうにするが、僕の視線を感じて仕方無さそうに口を開いた。

「……別に隠してたわけじゃないわよ。ただ訊かれなかったから言わなかっただけ」

「性格悪いぞ」

「それに正体を隠してMADとして接するのも面白かったんですもの」

「性格悪いぞ」

「悪かったわね。それに……」

「それに?」

「……全部私の口から言わせる気?」

 江本の言葉の続きは僕には分からないので直接彼女の口から聞く他ない。そんな僕の様子を感じ取ってか江本は諦めたように僕を見た。

「私が入学生代表として挨拶することを学校側から電話で打診されたとき、なんて言われたと思う?」

「さあ?」

「『入試の成績優秀者の方々に電話しているのですが、入学生代表として新入生歓迎会のときに挨拶をしてもらえませんか?』と言われたの」

僕も同じような事を言われた。だがある部分だけが違う事に気付いた。

「『成績優秀者の方々』――つまり私の前に誰かに打診したってこと。私は必死に勉強して入試に挑んだけど私よりも上がいた。でもそれに関しては別にどうも思わないわ。私よりも頭のいい人なんてざらにいるだろうし、私が常に一番だとは思わないもの。でも問題なのは一番目≠ノ代表としての挨拶という特権があったのに、二番でしかなかった私にそのお鉢は回ってきた。私はお(こぼ)れに預かっただけで私の実力で得たものじゃない。それが私は許せなかった。だから私は本当に一番になるために学校に入ってから前にも増して必死に勉強したわ。そして最初の試験で当然のように一番になれた。私は本当に嬉しかったわ。一番目≠ノ勝てたと思って。でも違った」

 そうだ。彼女は僕に勝ったわけじゃない。なぜならその時僕は入学してすぐに入院しており学校にはいなかったからだ。

結局僕は最初の試験を受けることはなく、学校に戻ってきても授業に出席できなかった分成績は悪くなった。もともと高校入学のためだけにに勉強していたようなものだったし、中学では親しい友人と張り合うことで勉強に意欲が湧いた。だが高校入学とほぼ同時に入院したため親しい友人はおらず、目標もないために次第に勉強自体に興味が持てなくなった。

それからというもの僕はゲームにはまり、学業をそこそこにゲームに浸かった生活を送っていた。だから入試以来僕は成績上位に食い込む事はなかったのだ。

「張り出された学年の成績上位の人に尋ねて回ったけど、入試のときに私を越えた一番目≠ヘいなかった。私はムキになって一人で息巻いていただけ。結局私は本当の意味での一番にはなれなかった」

 江本はどこか睨むように僕を見た。僕がその一番目≠セということを先日彼女は偶然知ってしまった。

「やっと見つけた一番目≠ェ君なわけ。もう出会うことはないと思っていたけど、やっと会えたわ」

 江本の真摯な視線に耐えれずに、僕は自嘲的な笑みを浮かべた。

「こんな僕で期待外れだったんじゃないか?」

「そうね、やっと見つけた君は逃げ続ける弱虫になってたから。でも今日のことで確信したわ。君は私の想ってた通りの人だって」

 実際今日の僕は昨日の僕と大して変わりはない。数時間そこそこで人間は変わるもんじゃない。それでも江本の目は僕への期待で溢れていた。

「今度は逃げないで私と戦って。君には迷惑な話かもしれない、でもこれは私の意地よ。君と決着をつけるまで私の気がすまないわ」

江本は立ち上がり、僕を見据えた。

「……ソリッドフェンサーで君を待ってるから。今度こそ私が君を倒すわ」

それに僕は無言で頷いて応えた。

言葉はいらなかった。ただ僕は本気で彼女と戦わなければならない。僕は逃げるのを止めた。